・小乗仏教と大乗仏教の最大の違い
小乗仏教でも、もちろん利他は教えられています。
小乗仏教の最高のさとりである阿羅漢のさとりを開いた人も、死ぬまでのしばらくの間は、人を救おうとします。
では、大乗仏教の自利利他とどこが違うのでしょうか。
それは大乗仏教の自利と利他は一体のもので、自分が幸せになると同時に他人も幸せになりますが、小乗仏教の場合は、まず自分が幸せになってから、他人を幸せにしようとする点にあります。
これは大乗仏教が自分と他人を同時に幸せにするのに対して、小乗仏教では自分の幸せが先で、他人の幸せは後ですから、「自分が幸せにならなかったら人のことはかまっていられない」「他人よりも自分が幸せになるのが優先」ということになります。
世間でも、自分が儲かることばっかり考えて人のことを全然考えていない人は、儲かるはずがありません。
自分のふところに入れることばっかり考えて相手に喜んでもらおうという心がないのです。
自分のことばっかり考えている人は必ず破滅の道をたどりますので、幸せになれるはずがありません。
このような利己的で、自己中心的な考え方は、仏教ではありません。
これを「我利我利(がりがり)」といいます。
「我利我利」とは、我が利益、我が利益と書きますように、
自分のことしか考えていないということです。
これが、ひっそりと小乗仏教の根底を流れている精神です。
つまり、
・小乗仏教は、我利我利の教えであり、
・大乗仏教は、自利利他の教えである、
ということです。
・私たちが気をつけるべきこと
ただここで気をつけなければならないのは、問題はどんな宗派なのかではありません。
心が重要です。
小乗仏教は、「自分さえ助かればよい」という我利我利の教えですから仏教を聞いても、自分さえ聞いていればいいと思って、あまり伝えようとしません。
それではすべての人が救われませんので、私たちが大乗仏教で自利利他を教えられていたとしても、自分の幸せを優先していては、小さな乗り物にたとえられる「小乗仏教」のようなものです。
本来の仏教は、自分が聞いたら、必ず人に伝えずにはいられなくなるものです。
すべての人が救われる教えが真の仏教ですので、大きな乗り物に例えて「大乗仏教」といわれるのです。
仏法を他人に伝えて幸せに導くままが、自分の幸せになる、自利利他が大乗仏教の精神であり、それが仏教精神です。
そして、自利利他の道を行くのが菩薩であり、
菩薩道というのは、自利利他の道なのです。
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