争いを失くす真髄(発句経より)

「ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。」

これは発句経(ダンマパダ)の冒頭部分のお釈迦様のことばです。
そしてこのように続きます。

「もしも汚れた心で話したりおこなったりするならば、苦しみはその人につき従う。」

仏教では何よりも心を清浄に保つことを重んじることを表すことばでもあります。

この発句経はお釈迦様が実際に説かれた教えに近いものがまとめられた初期の仏教経典と言われております。
後世に作られた大乗経典とは違い、倫理的な色彩が色濃く、日常でわたしたちが忘れてしまっているような大切な真理を思い出させてくれる内容となっております。(ちなみに、後世に作られた大乗経典はとてもストーリー性が強く、SFチックな感覚を受けるものがとても多い)

普通に生活をしている人たちは永く生き永らえることを前提に行動しています。
しかし、誰もがいま、ここで死んだとしても不思議ではありません。そのような状況に置かれているのが生きているということなのです。
この真理をしっかりと認識した上で発言・行動すれば、ささいな争いや揉め事が起こることはなく、人を怨む暇すらないのだと理解できます。
人を怨む暇があるなら、いま、1分1秒を大切に生きよう、そのような認識になるはずです。

「『われらはここにあって死ぬはずのものである』と覚悟をしよう。,,,このことわりを他の人々は知らない。しかし、このことわりを知る人々があれば、争いはしずまる」

発句経ではこのように説かれております。
この真理を認識すれば心は静まり、争う気持ちもなく、平静に日々を過ごすことができるでしょう。


真言宗 光堯庵 (ひかりぎょうあん)

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