元々「真言」とは、サンスクリット語のマントラの漢訳で、「仏の真実の言葉」という意味で訳されたものです。たとえば、一番有名なお経である「般若心経」の最後にある「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」も真言の一つです。
お大師様は真言について「真言は、不思議なものである。本尊を観想しながら唱えれば無知の闇が除かれる。わずか一字の中に千理を含む。この身のままで真理を悟ることができる」と記されております。
真言のはじめによく見かける「唵」(おん)という文字は、元々はインド古来の神々に対する呼びかけの間投詞でありました。それが密教に取り入れられたことで仏教では真言の初めの音、たとえば「唵あびらうんけんばざらだとばん」などのように用いられることとなりました。また、「唵」は帰命、供養、あるいは法身・報身・応身の仏の三身を意味するものとされています。
先程の「おんあびらうんけんばざらだとばん」を一文字ずつ見ていくと、お大師様の「一字の中に千理を含む」という言葉の意味が見えてきます。
「あびらうんけん」は胎蔵界大日如来、「ばざらだとばん」は金剛界大日如来を表しておりますが、「あびらうんけん」は五文字に分けられ、「あ=地」「び=水」「ら=火」「うん=風」「けん=空」の五大を表しています。
「ばざらだとばん」は「ばざら=金剛」「だと=基盤、本質」「ばん=金剛界大日如来の種子」をそれぞれ表しており「金剛のような堅固な覚りを本質として有する仏、金剛界大日如来よ」と訳されます。
このように真言は意味を持った言葉が集まって作られております。
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